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  • 2/5

    良くしてくれている人のお店でバーボンをたらふく飲んでいた。店内には坂本龍一の「04/05」が流れていたと思う。他愛もない会話に穏やかさを見出し、久しく会っていなかった人と偶然居合わせ、当たり前のように親しみを込めた視線を交わす。そうして満足するとお腹が空いてくるので、深夜まで営業しているラーメン屋にでも入ろうかと迷うが、結局コンビニで我慢し普段は食べないカップ焼きそばを買う。タクシーを止め、自宅の前に着くと「お客さんケータイ忘れてる。」と白髪混じりで坊主頭の運転手に指摘され、「あぁ、ありがとうございます。」とか言って、家に着く。どのようにして朝を迎えたのかは覚えていないのだけど、未開封のカップ焼きそばがテーブルに置かれたままだった。

  • 1.29

    ネットで買ったブランキーのポストカードが届いたので、D&Gのベッコウに漆を塗ったラスティ・ラスト・サングラスと一緒に飾った。

  • パンナピッタ

    俺の弁当箱パンナピッタ

  • 1.17

    神は仰られた。「お前のかいた恥、お前だけが修正可能」と。

    そうして光があった。

  • 1.6

    知り合いのキリスト教信者が身体障害者に寄せる同情、はっきり言ってそれは同情だったし、彼らがそう言われることを最も嫌うのは、それがやはり同情だったからだ。

    それであの変な髪型の夫婦、俺は一度アレに会ったことがあるのだけど、次会うことがあれば、アイツらのやっていることを論理的な完全さで否定したいと思う。俺はインテリしか知らないインテリを反吐が出るほど軽蔑するし、多くのインテリは言語で鎧を着るのだけど、目が悪いから、ロクな鎧を編めていない。だから、俺は殴られた瞬間に殴り返す、言語以前の野蛮な感性の方を信じている。本当に信じたいものがあり、そのことの価値を世に問いたい人間は、美容室で変な髪型にはしないし、オシャレで身を固めたりしない。

    民藝について、自然とか、大地とか、浄土などと言ってみるのも結構だが、例えば俺は禿げ上がった大地にも美は可能だと思うし、再開発のビル群にだって美は可能だと思う。大きな言葉で何か神聖なイメージを呼び起こし、里山で黄色い葉の落ち重なった地面に、ふいに木漏れ日が指す瞬間、美しさを感じ、それは「ほとんど祈る思いに近い」などと言うのを見るにつけ、なんと冗長で退屈なことだろうと思う。

  • 美しいこと

    2人が話そうとしなかった時間

  • Pickles

    チバユウスケが何かのインタビューで好きな食べ物は?と聞かれ、「何ていうか、醤油とかわさびとか、そういうの」とか、そんな感じで答えていたのを思い出した。曖昧な記憶だけど。

  • 頭の悪い人たち

    「頭の悪い人間に選挙権なんか持たせるからロクでもない世の中になるんだよ。何にも知らない、勉強もしない阿呆共が、願ってもない幸運にありつき、発言の機会を与えられたものだから、常日頃インターネットか何かでぎゃあぎゃあ喚くってもんで、そんな屑物のことを『政治』とか『民主主義』などとぬかしやがる。そうだ、免許制にすりぁ良い。そうして俺から選挙権を取り上げてくれ!」

  • Ok, baby

    ブログを作ってみているのだけど、方向はない。書きたいことはあると思うし、書かなきゃいけないことがあると思う。

    関心のあることについて考えている時や、何か読書している時は楽しい。それ以外の時は結構悲しかったりするのだけど、みんなはどう?あなたについて心から気にしてくれている人や、怒ってくれる人がそばにいたらいいと思う。他人に怒られたりしたら、普通にムカつくけどね。

    オレは今決めたけど、このサイトにはとにかく考えていることを書きつけようと思う。恥ずかしいとか、ナメられるとか抜きに、続けることが大事だし。

    最近はブランキージェットシティにハマっている。こんなカッコいい人たちがこの国にいたのかと思うのは初めてだった。何が良いのかを簡潔にいうなら、それは「善悪のない純粋」に尽きる。ブランキーが鳴らす不穏で煌めいた世界は、雪の舞う朝の光と、太陽の差さなかった雨の日の夕暮れを重ねたみたいで、戸惑う。

     語られる世界の役者は無垢で、残酷で、心優しい。車泥棒の少年は、ブロック塀の下敷きになった子犬のために誰も祈らなかったから、車を盗む。ひったくりの少年は、ミッションを完遂するために、エンジンの音を抑えるべく、バイクに高級オイルを使い、とっておきのサングラスを着ける。

     アントニ・タピエスの絵が良い。色、素材感、配置、これらの要素の組み合わせでキャンバスを眺めるとき、リズミカルで動物的な動きと(「古い世代の奴らは金でなんでも買いあさった。だけど、俺たちは自然の掟の中で生きる獣の世代さ。」-『Punky Bad Hip』)人生における決定的な傷、何か運命のようなものを予感させるマークに程よい緊張感を感じ、それは美しいと思う。

  • 日記的状況

    昼過ぎに傘を持って家を出た。天気予報を見ないから、傘を持って家を出ることなどほとんどないのに、今日は持っていた。

     外出したのは藤本タツキの『ルックバック』を新宿バルト9へ観に行くためだった。
     アニメを見ると、イケメンや美女を描けてもブサイクな男や女を描くことはできないのか、と思うことがよくある。ブサイクキャラのようなのは描かれることはよくあるが、目に優しくデフォルメされているために不快でない。ブサイクとは不快なことであるから、デフォルメされたブサイクキャラはブサイクではない。
     ところが『ルックバック』の京本を見て、下顎が出ていて、「ブサイクだ」と思った。そこが良かった。

     Blanky Jet City(最近聴いてる)の名曲『赤いタンバリン』に、「欠落した俺の感性に響くぜ」という歌詞があるが、上映中ほとんどずっと涙を流していた俺の感性は素朴だと思う。欠落しろよ、と思う。言うまでもなく、創作にはそうでなかった現実に対して、本当はそうであってほしかったことを観客の実感に触れ、語りかけるように伝える力がある。俺はあんなふうに若い人が互いを必要としながら生きていく姿が眩しくて、だからずっと泣けた。それにharuka nakamuraの音楽だって、あれは人泣かすために書いてるでしょう。

    映画が終わり、エスカレータに乗り、バルト9の10階から見下ろす新宿、文化服装学院やオペラシティの方へと抜ける甲州街道を眺めていると、非常に虚しい気持ちになった。新宿区に住んで一年と少し、新宿駅周辺には何も無いなと、来るたびに思うけど、俺はモンベル新宿南口店やセガフレード・ザネッティ・エスプレッソ新宿南口店のおかげで、新宿南口とバスタの間を抜けるあの大通りに愛着を持ち始めていた。それなのに、である。

    脇には新宿高校を見下ろす。実験室か調理室のように見える部屋には電気がついたままで、6人掛けほどの大きな机の上に、丸い背もたれの無い椅子が逆さになって並べられていた。

    大学一年の時、同じ学部に自分と同じように孤立した男がいて、少しの間キャンパス内で一緒に時間を潰していたことがある。坊主頭で広い額をした鋭い目つきのそいつは、いつもキャンパスをタイヤの大きな黒い自転車(ファットバイクというらしい)で移動していて、見たことのないアウトドアメーカーのジャケットを着ていた。学部を主席で入学した勉強のできる男だった。東京出身のそいつになぜ北海道に来たかと聞くと、山が好きで、山岳レスキュー隊になりたいと、驚くほどまっすぐに答えたのを覚えている。
    その後俺は留年し、そいつも留年し、俺は5年で卒業したけど、そいつは気付けば学部棟で見かけることもなくなったし、最後に会った時には2回目の留年をしたと言っていた気がする。その頃のことはもうあまり覚えていないし、名前も思い出せないのだけど、そいつは新宿高校出身だった。

     その後、そのまま帰宅しても良かったのだけど、結局いつものように紀伊國屋新宿本店へ寄り、最近気にしている琳派に関する本を求め、『光悦 琳派の創始者』を買おうと手に取ってみたが、税込4950円で、「たか」と思い棚に戻した。芸術関連の書籍は5階にあるのだけど、あそこのエレベーターは待っても中々来ないし、階段で向かうには少し疲れる。人文・社会の3階と同じフロアにしてほしい。それにあの店にはなぜか制服を着たエレベーターガールがまだいる。

     ついでに向かいにある北村写真機店に寄り、先週現像をお願いしていたデータを受け取りに行き、仕上がりを確認し、ほとんどがピントが合っておらずがっかりした。日記のようなものを書きたかったのだが、飽きたので寝ることにする。この後パブでビールを1パイント飲み、タバコを2本吸って家に帰った。