投稿者: takashi akitaya

  • 4.6

    合田佐和子とヤマザキマリさん

  • 3.25

    パンダのシートクッションが届いた。

    朝の光のなか
  • 3.13

    一度外に出ると小粒のぬるい雨がシャワーのように降っていた。湿度を多く含んだ外気は夜の光を柔らかくしていて、視界いっぱいに伸びる中央線の線路が真白な蛍光灯の下で照らされていた。

    その日の飲み会で居合わせた初対面の男はいかにも神経質という風で、M字に後退した生え際と黒縁のメガネの中の大きな目が特徴的だった。その店では某有名店で修行した女将が燗を付けてくれるのだけど、それが絶妙な具合で酒飲みにはたまらないのだと聞いていた。「燗の付け方が絶妙」という言葉を前に「大人っぽい」と思い、恥ずかしさを感じる。他のお酒にしても、その味わいを様々な角度で表現し、評価する人たちがいて、俺はそういうことをカッコいいことだと思っていないのだけど、今ではそれは食事の席で必要なコミュニケーションなのだと理解している。それでも俺は、「どうでもいいぜそんな事柄」と思う。

    4時間に渡って酒を飲み続け、美味い肴を存分に楽しんだ人たちはすっかり気の良い酔っ払いになっていて、先に店を後にした神経質なメガネの男を俺は別れ際に強く抱きしめていた。他の人もそうしていたと思う。その後に店を出た女性は、黙ったまま俺のリブニットの胸元の大きく開いたファスナーを上まで閉めて帰って行った。

    帰りの電車では三鷹から新宿まで20分くらいだっただろうか。一緒にいた人たちは楽しい気分で子どもの頃に遊んだ「ドラゴン・クエスト」の話をしていた。呪文とか、攻略法とかそんなことだったと思う。その内容を何一つとして思い出せないし、それにしても声が大きいなとかそんなことを気にしていた気もする。

    あれだけの量のお酒を飲んだのに、翌朝の気分は悪くなかった。チョコレートを少し食べて、家を出た。外は雨上がりの湿気とともに土や草木の匂いを漂わせながら、長かった冬がようやく終わることを告げていた。温かかった頃のことを思い出せないくらいに、長かったと思う。

    銀座の教文館はとても心地の良い場所で、BGMの無い店内に響くのは老いた男性店員の厚みのある声だけで、来るたびにディスプレイが変わるのを見るのが楽しい。三島由紀夫生誕100周年の棚や、映画の公開に合わせたボブ・ディラン特集の棚、書店売り上げランキングの棚の空いたスペースには、トルストイの『イワンのバカ』が置いてあった。

    喫茶店の丸いテーブルの上にはサンドイッチが乗った大きなお皿とブリュードッグの入ったパイントグラスとその空いた缶が並んでいた。サンドイッチのパンにはバターが塗られていて、小さくカットされたそれらを掴むたびに指にはしつこい油分が付着し、簡易的な個包装のおしぼりでは十分に拭い取ることができなかった。そうして、読んでいた文芸誌のざらついたページの端は油で黒くシミになっていった。

    電車の隣に立っていた若い女はネイルをした指でiPhoneのカメラロールを熱心にスクロールしていた。車内は帰路につくサラリーマンに溢れていて、中年の男たちの香りに俺はお好み焼きのことを考えていた。そうして彼女が手繰り寄せた目当ての画像は、手のひらに乗せた亀を収めたものだった。左手の上に亀を乗せ、それを右手に持つiPhoneで撮影したものを、彼女は表情を変えずにただ見つめていた。そうしている間に電車は赤坂見附に止まり、彼女は降りて行った。

  • 3.10

    全国の暴走族のみんな、おはようございます。ブランキーの解散ツアーを密着撮影した映画『VANISHING POINT』のDVDが届きました。俺はその素晴らしい内容に頭を抱えた。それについて書くのは大変なことだからブランキーの曲を少し紹介するね。

    いちご水を入れた 透明なビン
    それを突き抜けた光が
    真っ白な壁に薄いピンクの
    影を映し出し
    君はそっと手を伸ばして
    それに触ろうとしている
    とても自然なことさ

    純粋とか、素直とかって何だったろうとつくづく思うよ。俺たちは何か欲しいものがある時、誰かが既に持っているものを欲しがったり、誰かが欲しがっているものを模倣するように欲望することが多いと思う。一方で心の原初的なイメージが、曖昧な記憶の中にあることを感じる。素晴らしかったことや、心が温かかったこと。色や音、匂いなどの刺激を伴う、言葉で説明できるほどの具体性を持たないそれらを今でも俺は欲しいと思う。俺の命の隣にあって全ての人の関心の外にある、俺だけの欲望があるとすれば、それはいちご水のように純粋なことだと思う。byebye ⭐︎

  • 3.7

    「私が80年代のマンフィールドでアートを学んでいた頃、初めてThe Cult(ちょうどDeath Cultに改名した頃)に出会いました。正確には私が見つけたわけではなく、当時付き合い始めたばかりの彼女、ジェーンが熱心なファンで、彼らのことを私に教えてくれたんです。それ以来、私はすっかり彼らに夢中になり、何度かライブにも行きましたが、彼らのコンサートは本当に素晴らしいものでした。イギリスのロック文化の中ではずっと過小評価されているバンドだと思います。

    残念なことに、ジェーンは90年代に交通事故で亡くなってしまいました。当時私たちはすでに別れていたのですが、その出来事は私にとって非常に衝撃的でした。彼女は本当に素晴らしい女の子だったし、これらの昔の曲を聴くたびに彼女のことを思い出します。そして彼女がもっと長く生きて、これらの古いビデオを見ながら、孫たちに『私はこの場にいたのよ』と自慢気に語る姿を想像してしまいます。ジェーン・オーウェン、どうか安らかに眠っていてほしい。愛を込めて。」

    @andrewwatkinson1548

    YouTubeで見つけたコメントをchatgptにて翻訳後、加筆修正

  • 3.3

    春風の匂いに懐かしい気持ちになり、そんな時にたまたま見たアンドリュー・ワイエスの絵はとても綺麗だと思った。日経新聞の「何でもランキング」の紙面で愛の言葉がテーマだった。一位がサンテグの「向き合うことが必ずしも愛の形ではなく、同じ方向を見ることが愛である」とかそんなような言葉で、それを見て妙に納得したりした。

    Andrew Wyeth “Daydream”

    外へ出ると雨が降っていて、傘を差して歩いている途中、雨が雪へ変わった。北国出身だからと言って寒さに強いわけもなく、「寒い寒い」と言えば、「北海道出身なのに?」とか、野暮なこと言いやがるもんだで、めちゃめちゃ殴って、めちゃめちゃ謝って、無かったことにしてやった。

  • 2.24

    李朝白磁壺
    桃山の織部手付鉢
    前原冬樹さんのミクストメディア
    常滑三筋壺
    古信楽大壺

    KUDAN HOUSEのアートフェアは今日まで。古信楽の壺、今まで見てきた信楽の中で最も美しいと思った。茶人がこの大きさを好まないから市場価値は年々下がって550と言っていたが(反対に小振りな蹲は価値が上がっているらしい)、たっけーと思った。美的に、あまりにおおらかだと思う。欠けた首さえ全体的な調和の中にあり、黙してそこに佇む。神はいないか、それでも彼がこの壺を創ったのかと思うほどである。

  • 2.20

    三ノ丸尚蔵館と静嘉堂美術館へ、特別な感動もなく(とは言え若冲の「老松白鳳図」や大観の「日出処日本」はそれなりの見応えがあったのだが)、NISHI GINZAのブリッジで瓶のブリュードッグを飲み干し、家へと向かった。最近、と言っても日によって様々なのだけど、欲望が弱っていると思う。蒸気機関のように頭を働かせるためには何かを変えなければならない。

  • 2.17

    全国の暴走族のみんな、こんばんは!メルカリで購入したカンボジアの人が作ったコースター、メチャ気に入ってる。ワインはオーストラリアの赤で、コバルトブルーが綺麗だから近所のワインバーで選んで買ったのだ。絵は梅原龍三郎。おやすみなさい。

  • 2.13

    せっかくの休日だというのに外へ出るのはいつも億劫で、日当たりの悪い賃貸物件の自室に日が差すのは一日のうち午前11時頃の15分程度なのだが、目を覚ますとまさにその時だった。ということは目を覚まし、少しすると部屋は暗がりを取り戻し出不精の自分の心にさらに味方する。とはいえ外の世界がどれほどか知るには、ドアを開け、歩き出さなくてはならない(I want you, love you Pepin♪)。

    最近はとにかく美術館へ通うことにしている。いろいろな作品を知ることが必要で、記憶する固有名詞の束を厚くしなければならない。それに美しいものに触れることは、細やかに行き渡る現実の重みを忘れさせる。それは私が生活を忘れたいと希望するしないに関わらず、ただ忘れるということだと思うのだけど、美学にはそんなことを言い表すために「美的距離」という言葉がある。ある新書には、心の余裕があって初めて美を楽しむことができるということ、また心に余裕を生むために美が用いられるといったことが初学者向けに説明されていたはずだ。ともかく美は現実との間に距離をつくる。

    ベッドの中でTOHOシネマズ日本橋のデヴィッド・テナントとクシュ・ジャンボの『マクベス』15時40分のチケットを購入し、昨夜脱ぎ捨てられた洋服をもう一度身に着け外へ出た。地下鉄を副都心線の明治神宮前で降り、太田記念美術館へと向かっている間、俺は様々な人間の香水が混じり合った匂いの中にいた。

    国周の展示だった。まとまった数の浮世絵を見るのはおそらく初めてで、繊細な筆や優れた色彩感覚に感心したのだが、同時にそれらは新しい美術だとも感じたと思う。田中一光が自伝の中で、浮世絵と戦後のグラフィックデザインを接続させていたことを思いながら役者絵を眺めると、コンピュータ的なデザインの精緻さとグラデーションの処理に、田中の言うことが分かるような気がした。

    外へ出ると風が強くて、ビールが飲みたかった。TOHOシネマズ日本橋へ行くには銀座線表参道駅まで歩かなくてはならなかった。表参道を行く間、過去のことを思い出していた。人に辛く当たったことや、人を悲しませたこと、それに15歳で家出した彼女のことを。渋谷はとても寒くて、こんな日は祖母が編んでくれたセーターを着ておくべきだったのに、鼠色のトレンチコートの下は薄手のカットソーだった。