汽車の音で目を覚ました。しかし実際には何も聴こえない静かな夜だった。
眠りに落ちる寸前、故郷について思っていたのかもしれない。生まれた地を想う時に、遠景に駅の音がするのはなぜだろう。車輪とレールの擦れる高い音、季節は冬だった。低くリズミカルなエンジン音や自動ドアを開閉する空気の破裂音、金属の焦げたような匂い、それにホームにいる人々の静かな体温を思い起こす。厚く着込んだ人々は電車に吸い込まれ、吐き出されてゆく。白い雪。
先日両親と青森へ行った。今年28歳になるのだけど、生まれてこの方青森に足を踏み入れたことがなく、両親が生まれ育ち私も年に一度は訪れる函館からは下北半島が見渡せるばかりにそれは不思議なことだった。ひとつ理由があるとすれば、それは東日本大震災の影響だろう。
札幌市の多くの公立中学の修学旅行先は東北と決まっているのだが、震災の年に中学2年になった我々は予定を変更し、道南や道東へ旅行することになったのだった。そんなことを今まですっかり忘れていた。中学1年の春、先輩の卒業式の練習中に体育館が強く揺れた。退屈なリハーサルを中断する教師のアナウンスに軽くざわつく子供たちはなんてことない日常のハプニングに少しだけワクワクしていただろう。東北でたくさんの人が亡くなり、修学旅行の行先が変更された日だった。
青森は父の案内で十和田湖、奥入瀬渓流、翌日は自分の希望で県立美術館へ。それぞれ素晴らしい体験だった。十和田湖は紅葉のパノラマ、和井内貞行のヒメマス養殖の歴史は面白く、高村光太郎のブロンズとの邂逅は緑色の太陽のことを想起させた。しかし何と素晴らしいタイトルだったろうか、緑色の太陽。
奥入瀬渓流。ここ数年半ば強迫的に美術に触れてきた甲斐があったか、風景の観察力を身に付けたように思う。長く続く渓流が生み出すイメージは歩みを進めるほどに次々と変遷する。岩間を滑る水流の飛沫とそれを遮る倒れた木々、苔むす石や大胆に隆起し露出する石層が抽象的なイメージを成し、近接するたび有機物の生々しさを打ち明ける。それらは大地に生息する有機物のカオスをベースに線形を立ち上げ、私に快を与えた。平行の線、垂直の線が額縁の中の景色に活気をもたらすし、それはフランク・ロイド・ライトの建築のようだった。



三内丸山遺跡に隣接した県立美術館はそのロケーションをいっぱいに生かした建築に加え、奈良美智の「青森犬」が当館のシンボルとして効果的に成立しており、外形だけを見ても良い美術館だというのが分かる。棟方志功の企画展に奈良を中心としたコレクション展は青森への慕情に満ちた内容だった。その思いはおそらく美術館と作家の双方に共有されているだろう。棟方は故郷を思い、土着の祭りや営みを作品のなかでごく自然に表現し、奈良は意図的に故郷を選び直したような感がある。生きていた時代が違うがどちらも故郷を大切にし、大切にされている。



生まれ育った土地や家への愛憎があれば良かった。札幌は歳を重ねるにつれて遠ざかり、実家は他人に売り渡された。かつて実家の庭には母が植えたたくさんの薔薇が咲き乱れ、飼い犬の為に父が取引先に建てさせたバラックがあった。その小屋の扉を開け木材の香りに胸を満たした時、私は確かに幸せだった。





