投稿者: takashi akitaya

  • 1/30

     九段ハウスを出ると濃いブルーの空の下にいた。風は無く空気は冷たかった。少し歩くと靖国神社の大きな鳥居とそこから緩やかな傾斜を伴い真っ直ぐに伸びる石畳が見える。靖国通りを跨ぐ歩道橋を使い反対側の歩道へ行く。千鳥ヶ淵は陽の光を写していた。

    九段ハウスでは「キュレーションフェア」なるアートフェアが開催されており、近代以降の日本における美術のあり方を示すものだった。また第二次世界大戦以前、以降の日本を現在の東京で鑑賞する効用を九段下という地はより大きなものとしていたと思う。九段ハウスと呼ばれる建物は関東大震災を経た東京で耐震構造のパイオニアである内藤多仲によって主に設計された旧私邸である。

    大きく3部に分かれる展示の一つは李朝陶磁によってそのほとんどが占められていた。柳宗悦が発見したとされる李朝陶磁の「下手物」の美は「民藝」という捉え所の難しい理念によって現代日本の大衆にまで浸透している。しかしながら柳の視点の当時的な難しさは少なくない人達によって批判されており、まさにその点を指摘しつつ多くの李朝陶磁をこの場で展示したキュレーションは素晴らしいと思う。

    つまり日本による朝鮮への政治的、文化的支配を基に論理立てされた「民藝」はオリエンタリズム、立場の弱い者へのハンパな共感であるという批判に正面から向き合うべきであり、関東大震災を経て建築された耐震構造に優れた財界人の私邸において朝鮮の陶磁器を鑑賞する俺達は、当然震災時に日本人が醜い大衆心理によって多くの朝鮮人を殺した事実の前に立たされる。おそらくそうあるべきだった。

    もちろんキャプションはここまで直接的な言い方をしていないし、このような強い言葉はとかく感情的な素人の戯言に過ぎないのかもしれないが、アンミカの「白って200色あんねん」に大いにインスパイアされたというキュレーターの言葉はギャグを超え、大阪に生きた、あるいは今も日本に生きる在日コリアンの存在を射程の内に置いている。社会的差別を俺たちは乗り越えていないことは、現在の政治的状況を見るに明らかだろう。殆ど自然光のみで見る白磁の壺は別に美しくなかった。

    九段ハウスを出て、気持ちは穏やかだった。前向きな仕事に立ち会ったからだったと思う。時間はまだ14時を回った頃だったと思うが、特に予定が無いため自宅のある築地に向かって歩いていた。皇居周辺は虚無であり、実際の生活から程遠く感じる。堀の側に小さな水仙が咲いていて可愛かった。水面には水鳥が微睡み、その下で褐色の鯉が重たく泳いでいる。一ツ橋の工事現場ではアフリカ系の作業員がトラックの駐車を補助し、それはとても自然に風景に馴染んでいた。

  • 1/10

    パリ行きの飛行機で7.8年ぶりくらいにカミュの「ペスト」を読んだ。何度も読んだのだからそう心は動かなかったが、夕方の空を緑色の空と描写していたことが気になった。言われてみればパリの夕方は緑色だったかもしれない。

    ルールマランは人が少なく、多くの店は閉まったままだった。平日は地元民しかいないため店を閉めているのだろうか。観光センターでヨガをするマダム達、常連とトランプゲームに勤しむカフェの男主人、カフェで行なわれる婦人会と、そのうち1人のマダムが連れてきたシーズー犬は主人の言いつけを守り、静かに寝そべっていた。あらゆる風景は退屈な田舎村のものだった。俺は一刻も早くこの村を後にしたかった。

    目的だったカミュの墓は想像通りのもので、他のどの墓よりもシンプルで宗教的な装飾の一切は避けられていた。小さな石にアルベール・カミュと刻まれ、そこらの石には世界中の読者が様々な言語でメッセージを残していた。例に倣い、空き瓶に差し込まれ雨に濡れた鉛筆で「ありがとう」と書き残した。それは少し恥ずかしいことだったから、近く降る雨が洗い流すことを願い、墓地を後にした。

    カミュの墓のある墓地、ちょうど長く伸びた糸杉の隣にカミュの墓はある。
    カミュに共感する読者によって人生の意味がフランス語とヘブライ語で綴られている
  • 10/26

    汽車の音で目を覚ました。しかし実際には何も聴こえない静かな夜だった。

    眠りに落ちる寸前、故郷について思っていたのかもしれない。生まれた地を想う時に、遠景に駅の音がするのはなぜだろう。車輪とレールの擦れる高い音、季節は冬だった。低くリズミカルなエンジン音や自動ドアを開閉する空気の破裂音、金属の焦げたような匂い、それにホームにいる人々の静かな体温を思い起こす。厚く着込んだ人々は電車に吸い込まれ、吐き出されてゆく。白い雪。

    先日両親と青森へ行った。今年28歳になるのだけど、生まれてこの方青森に足を踏み入れたことがなく、両親が生まれ育ち私も年に一度は訪れる函館からは下北半島が見渡せるばかりにそれは不思議なことだった。ひとつ理由があるとすれば、それは東日本大震災の影響だろう。

    札幌市の多くの公立中学の修学旅行先は東北と決まっているのだが、震災の年に中学2年になった我々は予定を変更し、道南や道東へ旅行することになったのだった。そんなことを今まですっかり忘れていた。中学1年の春、先輩の卒業式の練習中に体育館が強く揺れた。退屈なリハーサルを中断する教師のアナウンスに軽くざわつく子供たちはなんてことない日常のハプニングに少しだけワクワクしていただろう。東北でたくさんの人が亡くなり、修学旅行の行先が変更された日だった。

    青森は父の案内で十和田湖、奥入瀬渓流、翌日は自分の希望で県立美術館へ。それぞれ素晴らしい体験だった。十和田湖は紅葉のパノラマ、和井内貞行のヒメマス養殖の歴史は面白く、高村光太郎のブロンズとの邂逅は緑色の太陽のことを想起させた。しかし何と素晴らしいタイトルだったろうか、緑色の太陽。

    奥入瀬渓流。ここ数年半ば強迫的に美術に触れてきた甲斐があったか、風景の観察力を身に付けたように思う。長く続く渓流が生み出すイメージは歩みを進めるほどに次々と変遷する。岩間を滑る水流の飛沫とそれを遮る倒れた木々、苔むす石や大胆に隆起し露出する石層が抽象的なイメージを成し、近接するたび有機物の生々しさを打ち明ける。それらは大地に生息する有機物のカオスをベースに線形を立ち上げ、私に快を与えた。平行の線、垂直の線が額縁の中の景色に活気をもたらすし、それはフランク・ロイド・ライトの建築のようだった。

    三内丸山遺跡に隣接した県立美術館はそのロケーションをいっぱいに生かした建築に加え、奈良美智の「青森犬」が当館のシンボルとして効果的に成立しており、外形だけを見ても良い美術館だというのが分かる。棟方志功の企画展に奈良を中心としたコレクション展は青森への慕情に満ちた内容だった。その思いはおそらく美術館と作家の双方に共有されているだろう。棟方は故郷を思い、土着の祭りや営みを作品のなかでごく自然に表現し、奈良は意図的に故郷を選び直したような感がある。生きていた時代が違うがどちらも故郷を大切にし、大切にされている。

    生まれ育った土地や家への愛憎があれば良かった。札幌は歳を重ねるにつれて遠ざかり、実家は他人に売り渡された。かつて実家の庭には母が植えたたくさんの薔薇が咲き乱れ、飼い犬の為に父が取引先に建てさせたバラックがあった。その小屋の扉を開け木材の香りに胸を満たした時、私は確かに幸せだった。

  • 9/24

    南フランスの地を想像する。赤土や潮風の匂い。朝の教会に差す太陽。何度も思い描いたイメージが実現するとなれば、一体どのような感情を抱くだろう。思いを巡らせるだけで涙が滲んでくる。12月、ルールマランのラベンダー畑の中にある冷たい墓石。秋風。

  • 9/17

    重ねる年に感慨を覚えたりはしない方だと思う。というよりは、続いていくことと、終わってしまうことへの感傷を義務のごとく遠ざけているのかもしれない。今日、頭の上から照り付ける正午の太陽の下で身体全体を優しく撫でる風を感じ、信号待ちの少しの間目を瞑ってみた。よく晴れたビーチで海風を感じながら、肌を焼く太陽に身を委ねると心が落ち着く。同じ気持ちで穏やかだった。今年の夏は海にも行かなかった。

    いつも通る道には5日くらい前から一匹のネズミが死んでいる。初めて見た時にはもっと生々しく確かにネズミの形をしていたのだが、だんだんと姿を変え今日には生きていた面影さえ微かに、道端に落ちている雨に濡れたスターバックスのカップスリーブのように平たく忘れられていた。

    すれ違いの女性は中年で、眉間に厳しい皺を作りながら先を急いでいるようだった。素材の良さそうな花柄のワンピースと明るい色のハイヒールは忙しなく歩みを進め、かつてネズミであった物体を踏み付け、なおどこかへ急ぐ。九相図とはこれかと思うのだけど、絵画ほどにドラマチックではなく、乾燥した死体は思うより乾燥したままそこに在る。

    先週行ったWHAT MUSEUMでの諏訪敦の展示、「きみはうつくしい」のことが頭にあったのだろうか。母の死に際し、静物画も肖像画も描けなくなった画家が肖像画を回復させる過程として、自らコラージュして制作した人体をモデルに展開した作品群が展示のメインであった。それもまた作家が述べるように九相図を意識したインスタレーションであり、しかしそれは生物が朽ちていく様ではなく、生から程遠い材質(骨格標本、外壁充填材等)から生を構築していく試みだったと思う。

    もっともオレの心を打ったのは故人を描く「喪失」シリーズの、ある10代の男子を描いた作品だった。この作品は故人家族からの依頼により制作されたもので、家族への入念なインタビューがあったのだろう。あまりに美しい振り向き様の青年の姿、見ている者が見つめられていると感じるほどのリアリティは、家族にとって堪らなく悲しく、優しいと想う。失われた肖像を美しく描くのは常に他人なのかもしれないし、それほど死は近しい者にとって硬いクルミのように不可解な手触りを持っているのだろう。

  • 7.26

    ケロロ軍曹とメロコアが好きな女がギターをメチャ弾く動画を小一時間見ていた。

  • 7.19

    いやなもんだで。ほんとに。ネットじゃ選挙に関する動画ばかり流れるし、見てみるとみんな性格の悪い顔をしている。俺は性格の悪い顔をしている人が大嫌いです。特に、群れて人を攻撃する人たちの顔を見ると殴りたくなる。

    昔よく父に言われた。人を「バカ」って言うなと。本当に怖い顔で言っていたし、怖かった。「アイツがさ、ホントバカでさー」とか言って、「人をバカって言うお前がバカだろう。」と、車の中。親父はホンダのモビリオに乗っていて、日が差す車内は温かかった。窓から眺めた豊平川の景色を俺は思い出せる。

    山種美術館で上村松園、実は1番良かったのは鏑木清方の『寒紅梅』だった。柔らかな筆は白無垢の若い娘を象り、その静けさが美しい次のストロークを予感させる。ついつい「欲しい」とつぶやいた。「ついつい」って言葉ってあったっけ。

  • 7.15

    I love you, Porgy.

  • 7.13

    ピカソが亡くなったブラックに寄せた描画、文も絵もとても良い。

  • 7.9

    7月6日、Instagramでkenichi_asai_officialの投稿に添えられたキャプションは現在の日本の状況を嘆き、警鐘を鳴らした上で選挙に行くことを強く勧めるものだった。ベンジーは最近ファンクラブの会報誌でも述べていたように政治に対し具体的にコミットしようとしていて(それは論壇紙の対談ページを読んでいるかのような真面目さだった)、その姿勢は5日の新宿でも「税金高いよね」というMCに始まったソロ最新曲『Fantasy』でも見られる(「メガソーラー 広大な 山削り 鳥も死ぬ 何やっとんの」)。そして最も俺の気持ちをザワつかせたのはベンジーがコメント欄で、ファンのコメントに対し「俺は参政党に入れる。」と返信していたことだった。

    その政党についてここで書く気は無い。その投稿についたコメントの数々を見て、ゲンナリしたのである。「ベンジーありがとう、私も選挙に行きます。」、「私も参政党に入れます。」、「参政党は危険です。」、「参政党は国民主権を憲法から削除しようとしています。」「考え方は人それぞれだと思います。」とかそんな感じで。

    はっきり言えば、俺は良識ある、あるいはあろうと望む大人は選挙に行くべきだと思うし、その動機は常に社会のためであるべきだと思う。一方で全ての人が選挙に行けば良い社会になるとは到底思えないし、話し合えば良い解が見つかるなどと思うことはできない。社会に出れば、世界の複雑さに耐えることができない人がほとんどだということが分かるし、想像上の敵を作り出し、それらを排除しようとすることでハリボテの正義をでっち上げるような弱い人間があまりに多いと思う。そしてそうならないために俺自身努めているし、生きるということはそれなりに皆大変で、強くあることはとても難しいと思う。

    気に入っている映画に『グリーンブック』(2018)という作品がある。イタリア移民の粗野な男(黒人に対して素朴に差別意識を持っている)がピアニストの黒人男のツアードライバーをすることになり、その旅路で正反対の二人の間に絆が生まれるというありがちな内容なのだけど、その中でとても印象に残っているシーンがある。黒人ピアニストはゲイであることを隠していて、そのことをある事件をきっかけに知ったイタリア男は特に何かを言うでもなく旅を続けようとする。その態度についてピアニストに言及されたイタリア男はたしか次のように答えた。「俺はニューヨークのど真ん中のクラブで長く働いていたんだ。世界が複雑なことくらい知っている。」。そのシーンがとてもいいのだ。どんなに品がなく、教養がなくとも、このことさえ知っていれば良いのだと思う(彼は車の窓からゴミを捨てるし、ラブレターの書き方さえ知らないが、とても自然に妻や家族のことを愛している)。

    話は戻るけれど、今リベラルの人達がこの一連の事柄を見たなら、浅井健一はどう言われるだろうと、俺はつい案じてしまう。とは言えインテリが浅井健一について何かを書くことなどこれまでなかったし、これからも無いのだろうが(「どうでも良いぜそんな事柄」—『SEA SIDE JET CITY』)。政治に関して一市民が問われることは「センス」であると思う。センスとは色んなことを知って、相対的に認識する訓練を経た判断のこととしてここでは使うけれど、浅井健一はセンス以前の人間であり、「真実 無言電話 クリーブランドでとれたカキ」、「ギリシャの写真を見て 綺麗だと思ったり」(—『SWEET DAYS』)とかめちゃナンセンスであり、シュールである。それはセンスを知る前の無邪気な頃の俺たち(「無邪気な顔して眠る子供の夢は 恐ろしい物語 でも決して汚れてはいない」—『綺麗な首飾り』、「ソーダ水の粒のように 楽しそうな日々は流れる かつて人はみな 無邪気な子どもだったよ」—『15才』)が確かに感じたはずの、手触りのある(「咲き乱れている花の中 暖かな風に吹かれて お前がオレの全てだと 手触りで言ってみせるよ」—『2人の旅』)純粋な嬉しさや悲しさをイメージの中で再現する。浅井健一の詩の力はとても素晴らしいと思う。浅井健一はセンスの人ではないし、センスをする必要がない。既に、そしてこれからも浅井健一の音楽は世界を良くしているし、良くしていくのだから。

    世界はいつも複雑だし、そのことを一人の人間が正しく認識することなんか不可能だろう。それでも愛した人や、憎い人や、どうでも良い誰かが階段に脛をぶつけたら俺は痛いと思う。そいつがアスファルトの上で転んだら痛いし、転んでほしくないと心から思う。そう感じるのは複雑な、割り切れない世界が美しい場所であることを歌う人がいたからだと俺は思うし、美しいことはいつもナンセンスの地平にあるのだ(「ぼくには見える 美しいことが どんなに弱くても 美しくなれる」—『美しいこと』)。