3.13

一度外に出ると小粒のぬるい雨がシャワーのように降っていた。湿度を多く含んだ外気は夜の光を柔らかくしていて、視界いっぱいに伸びる中央線の線路が真白な蛍光灯の下で照らされていた。

その日の飲み会で居合わせた初対面の男はいかにも神経質という風で、M字に後退した生え際と黒縁のメガネの中の大きな目が特徴的だった。その店では某有名店で修行した女将が燗を付けてくれるのだけど、それが絶妙な具合で酒飲みにはたまらないのだと聞いていた。「燗の付け方が絶妙」という言葉を前に「大人っぽい」と思い、恥ずかしさを感じる。他のお酒にしても、その味わいを様々な角度で表現し、評価する人たちがいて、俺はそういうことをカッコいいことだと思っていないのだけど、今ではそれは食事の席で必要なコミュニケーションなのだと理解している。それでも俺は、「どうでもいいぜそんな事柄」と思う。

4時間に渡って酒を飲み続け、美味い肴を存分に楽しんだ人たちはすっかり気の良い酔っ払いになっていて、先に店を後にした神経質なメガネの男を俺は別れ際に強く抱きしめていた。他の人もそうしていたと思う。その後に店を出た女性は、黙ったまま俺のリブニットの胸元の大きく開いたファスナーを上まで閉めて帰って行った。

帰りの電車では三鷹から新宿まで20分くらいだっただろうか。一緒にいた人たちは楽しい気分で子どもの頃に遊んだ「ドラゴン・クエスト」の話をしていた。呪文とか、攻略法とかそんなことだったと思う。その内容を何一つとして思い出せないし、それにしても声が大きいなとかそんなことを気にしていた気もする。

あれだけの量のお酒を飲んだのに、翌朝の気分は悪くなかった。チョコレートを少し食べて、家を出た。外は雨上がりの湿気とともに土や草木の匂いを漂わせながら、長かった冬がようやく終わることを告げていた。温かかった頃のことを思い出せないくらいに、長かったと思う。

銀座の教文館はとても心地の良い場所で、BGMの無い店内に響くのは老いた男性店員の厚みのある声だけで、来るたびにディスプレイが変わるのを見るのが楽しい。三島由紀夫生誕100周年の棚や、映画の公開に合わせたボブ・ディラン特集の棚、書店売り上げランキングの棚の空いたスペースには、トルストイの『イワンのバカ』が置いてあった。

喫茶店の丸いテーブルの上にはサンドイッチが乗った大きなお皿とブリュードッグの入ったパイントグラスとその空いた缶が並んでいた。サンドイッチのパンにはバターが塗られていて、小さくカットされたそれらを掴むたびに指にはしつこい油分が付着し、簡易的な個包装のおしぼりでは十分に拭い取ることができなかった。そうして、読んでいた文芸誌のざらついたページの端は油で黒くシミになっていった。

電車の隣に立っていた若い女はネイルをした指でiPhoneのカメラロールを熱心にスクロールしていた。車内は帰路につくサラリーマンに溢れていて、中年の男たちの香りに俺はお好み焼きのことを考えていた。そうして彼女が手繰り寄せた目当ての画像は、手のひらに乗せた亀を収めたものだった。左手の上に亀を乗せ、それを右手に持つiPhoneで撮影したものを、彼女は表情を変えずにただ見つめていた。そうしている間に電車は赤坂見附に止まり、彼女は降りて行った。

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