1.6

知り合いのキリスト教信者が身体障害者に寄せる同情、はっきり言ってそれは同情だったし、彼らがそう言われることを最も嫌うのは、それがやはり同情だったからだ。

それであの変な髪型の夫婦、俺は一度アレに会ったことがあるのだけど、次会うことがあれば、アイツらのやっていることを論理的な完全さで否定したいと思う。俺はインテリしか知らないインテリを反吐が出るほど軽蔑するし、多くのインテリは言語で鎧を着るのだけど、目が悪いから、ロクな鎧を編めていない。だから、俺は殴られた瞬間に殴り返す、言語以前の野蛮な感性の方を信じている。本当に信じたいものがあり、そのことの価値を世に問いたい人間は、美容室で変な髪型にはしないし、オシャレで身を固めたりしない。

民藝について、自然とか、大地とか、浄土などと言ってみるのも結構だが、例えば俺は禿げ上がった大地にも美は可能だと思うし、再開発のビル群にだって美は可能だと思う。大きな言葉で何か神聖なイメージを呼び起こし、里山で黄色い葉の落ち重なった地面に、ふいに木漏れ日が指す瞬間、美しさを感じ、それは「ほとんど祈る思いに近い」などと言うのを見るにつけ、なんと冗長で退屈なことだろうと思う。

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